カリフォルニアによった時に、友人のローゼンリクト先生が、この本を紹介してくれました。勿論英語版ですが、和訳が出ていたのでそちらを購入してみました。この本は、アメリカ文化が世界に輸出され、世界中がアメリカナイズされているという、アメリカ人の好きそうなカテゴリーの本で、精神医学に関連した事柄が輸出されていることについての実例を4つ挙げて議論したものです。その中の一つにグラクススミスクライン(GSK)が日本にパキシルを売り込むときの戦略が取り上げられていて、とても興味深いです。
アメリカ人は、アフガンゲリラでもベースボールキャップをかぶっているとかいうようなジョークが好きです。アメリカは、驕り高ぶったところのある国なので、時に嫌気がさすこともありますが、しかし世界情勢を考えるときには外して考えたり、全く否定したりもできない国です。集団的自衛権の議論が昨今盛んですが、この場合もアメリカについて考えずにこの議論は全く成り立たないでしょう。一方で、アメリカは日本のことはすごく考えてくれていると思いすぎることも注意が必要だと思います。日本はアジアの国なので、基本的にはアジアの国との友好関係をしっかりと築いていかなくてはいけないでしょう。
さて、前置きはこのくらいにして、この本は各章に4つの実例を出しています。
第一章 香港で大流行する拒食症
第二章 スリランカを襲った津波とPTSD
第三章 変わりゆくザンジバルの統合失調症
そして
第四章 メガマーケット化する日本のうつ病
ローゼンリクト先生は、この第四章の感想を聞きたいということを言ったので、今回のブラジル旅行中に第四章を読んでみました。
この章は精神科医の先生たちも、場合によったら製薬会社のMRの人たちも読むと面白いと思います。先に述べたように、いかにしてGSKが日本にパキシルという抗うつ剤(SSRI)を売り込んでいったかを書いてあります。私が思うに、この本には誇張や記述の誤りはあると思います。たとえば、1990年頃には日本の精神科医は本当に重い患者しか診ていなかったとか言うようなことです。日本におけるうつ病の概念が、ここ20年くらいの間に大きく変わって、それに多くはGSKの戦略も荷担していたというようなニュアンスが書かれもいます。これも誇張があるなとも思いますが、しかし、少し客観的に見てみると、必ずしも誤りでも無いのかなと思う面もあります。
正直なところ、ここに書かれている時期は私自身は、研究所で研究に多くの時間を費やしていたので、ここに書かれているそのようなキャンペーンや、製薬会社からの接待のことなどについては経験がありません。製薬会社の人から、講演の後食事会に招かれることは最近になってありますが、ここに書かれている時代はそういう世界からは遠いところにいて、実際どうだったのかが、自分の経験から言えないということもあります。
本の中では、アメリカの例として、製薬会社が医学研究者たちの論文を代筆して、出版していたということ。それによって、製薬会社とそのような関係にある研究者は、どんどんと業績(論文出版によるインパクトファクターという点数)をのばし、出世していったという事が書かれています。ある意味ではアカデミックなキャリアを積んでいくための道を、製薬会社が作るようになったということで、医学の重要なポジションに着く人たちを製薬会社がコントロールできるようになったと、アメリカの例として書いてあります。
日本においては、これよりも大分控えめなものであったように思いますが、それでも数年前は、食事会などもよく開かれていたようです。結局のところ、このような製薬企業と研究者との癒着は使用する薬物の選択にバイアスがかかるという結果となり、それは患者さんの症状に応じた薬物処方とは異なった視点からの薬物処方がなされる可能性を示しています。しかし、このような接待は、日本でも現在はなくなりました。
*GSKの方にも伺いましたが、GSKは、2016年までに医師の講演謝金などはすべて廃止する方針を決めたようです。ロイターの新聞記事でも確認しました。GSKはこのような問題となる活動を初めましたが、自らそれに終止符を打つことにしたということでしょうか。
さて、私の感想としては、このような問題がこれまでにもあり、現在もそのようなことがあるのは事実だと思います。DSM5のケースでも、アメリカ精神医学会(APA)とNIMHが協調しないことになり、APAはどちらかと言えば、臨床家と製薬会社よりの立場になっている気がします。これに対して、NIHはより純粋に研究的な視点に立った診断基準を考えているようです。日本精神神経学会は、APAほど製薬よりの立場ではなく、むしろ中立になろうとしていると思います。そのような中で、精神科医の教育にも力を入れ始めています。一方で、日本においても、ノバルティスのケースなど、アメリカに近い問題が発覚しており、今後も、中立的な研究者が主体的に研究をして、治療法の評価をするという仕組みを確立していくことは、重要な課題であると思います。
私は、薬は治療の役にたつと思っています。また、そのような薬物の開発は、製薬会社がしのぎを削る資本主義社会の競争の中でより良い物が出てくるという側面もあると思います。しかし、それを評価するのは、科学的に客観的に行われなければならないことは言うまでもありません。
従って、より望まれるものは研究者のあるいは医師・精神科医の倫理観なのでしょう。客観的にものを見るというのは非常に難しいことです。これは、研究をやっていると非常によく判ります。つい、自分の考えに近い方向にデータを導こうとしてしまう無意識の意識が働いてしまいます。お金を渡されれば、その方向に配慮するということも起きてきます。そういう意味でも、臨床家もある程度の研究経験を持ち、物事を客観的に評価する視点を学ぶ機会を持つことが大切だと思います。そういう意味では、最近研究をする医師が少なくなったのは残念なことでもあります。このような経験をすれば、その中で、データに対する客観的な判断力も養われます。このような精神科医が増えれば、一方的な視点のデータだけで、薬物の効き目を評価すると言うことは少なくなってくるようにも思いました。
治療に関わる、さまざまな製薬企業との関わりはなくすことはできないと思います。したがって、これをどのようにコントロールしていくのか、また実際に医師がどのような形で客観性や倫理観を担保していくのかが今後の重要な課題となると考えさせられる本でした。
この章は精神科医の先生たちも、場合によったら製薬会社のMRの人たちも読むと面白いと思います。先に述べたように、いかにしてGSKが日本にパキシルという抗うつ剤(SSRI)を売り込んでいったかを書いてあります。私が思うに、この本には誇張や記述の誤りはあると思います。たとえば、1990年頃には日本の精神科医は本当に重い患者しか診ていなかったとか言うようなことです。日本におけるうつ病の概念が、ここ20年くらいの間に大きく変わって、それに多くはGSKの戦略も荷担していたというようなニュアンスが書かれもいます。これも誇張があるなとも思いますが、しかし、少し客観的に見てみると、必ずしも誤りでも無いのかなと思う面もあります。
正直なところ、ここに書かれている時期は私自身は、研究所で研究に多くの時間を費やしていたので、ここに書かれているそのようなキャンペーンや、製薬会社からの接待のことなどについては経験がありません。製薬会社の人から、講演の後食事会に招かれることは最近になってありますが、ここに書かれている時代はそういう世界からは遠いところにいて、実際どうだったのかが、自分の経験から言えないということもあります。
本の中では、アメリカの例として、製薬会社が医学研究者たちの論文を代筆して、出版していたということ。それによって、製薬会社とそのような関係にある研究者は、どんどんと業績(論文出版によるインパクトファクターという点数)をのばし、出世していったという事が書かれています。ある意味ではアカデミックなキャリアを積んでいくための道を、製薬会社が作るようになったということで、医学の重要なポジションに着く人たちを製薬会社がコントロールできるようになったと、アメリカの例として書いてあります。
日本においては、これよりも大分控えめなものであったように思いますが、それでも数年前は、食事会などもよく開かれていたようです。結局のところ、このような製薬企業と研究者との癒着は使用する薬物の選択にバイアスがかかるという結果となり、それは患者さんの症状に応じた薬物処方とは異なった視点からの薬物処方がなされる可能性を示しています。しかし、このような接待は、日本でも現在はなくなりました。
*GSKの方にも伺いましたが、GSKは、2016年までに医師の講演謝金などはすべて廃止する方針を決めたようです。ロイターの新聞記事でも確認しました。GSKはこのような問題となる活動を初めましたが、自らそれに終止符を打つことにしたということでしょうか。
さて、私の感想としては、このような問題がこれまでにもあり、現在もそのようなことがあるのは事実だと思います。DSM5のケースでも、アメリカ精神医学会(APA)とNIMHが協調しないことになり、APAはどちらかと言えば、臨床家と製薬会社よりの立場になっている気がします。これに対して、NIHはより純粋に研究的な視点に立った診断基準を考えているようです。日本精神神経学会は、APAほど製薬よりの立場ではなく、むしろ中立になろうとしていると思います。そのような中で、精神科医の教育にも力を入れ始めています。一方で、日本においても、ノバルティスのケースなど、アメリカに近い問題が発覚しており、今後も、中立的な研究者が主体的に研究をして、治療法の評価をするという仕組みを確立していくことは、重要な課題であると思います。
私は、薬は治療の役にたつと思っています。また、そのような薬物の開発は、製薬会社がしのぎを削る資本主義社会の競争の中でより良い物が出てくるという側面もあると思います。しかし、それを評価するのは、科学的に客観的に行われなければならないことは言うまでもありません。
従って、より望まれるものは研究者のあるいは医師・精神科医の倫理観なのでしょう。客観的にものを見るというのは非常に難しいことです。これは、研究をやっていると非常によく判ります。つい、自分の考えに近い方向にデータを導こうとしてしまう無意識の意識が働いてしまいます。お金を渡されれば、その方向に配慮するということも起きてきます。そういう意味でも、臨床家もある程度の研究経験を持ち、物事を客観的に評価する視点を学ぶ機会を持つことが大切だと思います。そういう意味では、最近研究をする医師が少なくなったのは残念なことでもあります。このような経験をすれば、その中で、データに対する客観的な判断力も養われます。このような精神科医が増えれば、一方的な視点のデータだけで、薬物の効き目を評価すると言うことは少なくなってくるようにも思いました。
治療に関わる、さまざまな製薬企業との関わりはなくすことはできないと思います。したがって、これをどのようにコントロールしていくのか、また実際に医師がどのような形で客観性や倫理観を担保していくのかが今後の重要な課題となると考えさせられる本でした。
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