吉林省の長春は、日本の満州時代の首都である新京であった街です。実は私の87歳の母親は、新京で女学校時代を過ごしました。父親が満州鉄道で働いていたからです。私は、この長春を訪れすのは今回が3回めですが、1回目に訪れた時に母の住んでいた家のあった場所に行ってみました。場所がわかったのは、私が最初に訪れるより前に、父と母が長春を訪れて、地図に印をつけていたからです。両親がその場所には行っていないようですが、その地図をもとに吉林大学の劉忠民教授が来るまで連れて行ってくれました。
満州時代のその家はなく、新しい家が立っていてロシア料理の店になっていました。母が通っていた、新京錦ヶ丘高等女学校は、富錦小学校という学校になっていました。満州国の時代の写真を見ると、今の様子とは随分違って、広々した感じがします。今は、発展して、長春の街には高層ビルが立ち並んでいます。
日本軍は、植民地として傀儡政権を立ち上げた満州国は、第2次世界大戦後には本来の中国の当地に帰るわけです。しかし、満州時代に満州政府の建物として使われていた国務院などは、今も吉林大学の医学部が使っているなど、健在です。
植民地支配のために、長春の人たち、特に高齢の人たちの日本に対する感情は必ずしも良くないのかもしれないのですが、吉林大学の先生方との交流からはそれは感じられません。早稲田大学スポーツ科学学術院にも、留学生が訪れるようになってきました。
今回の訪問は、吉林大学のホームページにも紹介されています。
吉林大学訪問時の記念写真 一番左の赤シャツが劉教授、私は右から3人目 |
日本軍は、植民地として傀儡政権を立ち上げた満州国は、第2次世界大戦後には本来の中国の当地に帰るわけです。しかし、満州時代に満州政府の建物として使われていた国務院などは、今も吉林大学の医学部が使っているなど、健在です。
植民地支配のために、長春の人たち、特に高齢の人たちの日本に対する感情は必ずしも良くないのかもしれないのですが、吉林大学の先生方との交流からはそれは感じられません。早稲田大学スポーツ科学学術院にも、留学生が訪れるようになってきました。
今回の訪問は、吉林大学のホームページにも紹介されています。