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2014年10月8日水曜日

医師への賄賂によってGSKが中国で罰金、幹部は実刑

インドに向かう飛行機の中で、シンガポールの新聞「The Straits Times」を読んでいたところ、中国での製薬企業と医師との癒着について、興味深い記事が載っていました。その後、トランジットのシンガポールで、朝日新聞のテキストをダウンロードしたところ、こちらは非常に短い報道でしたが掲載が有りました。

グラクソ・スミスクライン社は、中国での医師への賄賂によって530億円という破格の罰金を課せられました。また、幹部は実刑判決を受けたようです。ただし、現地法人トップの英国人はすでに帰国して、実質的には実刑はくだらないようです。現地での、「賄賂」の実態については詳しくは分かりませんが、GSKがマーケットの拡大のために多額のお金を使っていたことは間違いなさそうです。中国は、人口から考えてもマーケットとしては巨大で、日本の比ではありません。そこでの販路拡大に相当のお金を使ったということでしょう。一方で、この罰金の額も破格のようです。

しかしながら、The Straits Timesの記事によれば、この罰金の額はマーケットからの恩恵に比べれば、許容範囲だそうです。現地での最高責任者の英国人はすでに帰国しており、任務は果たしたということになるのでしょうか。以前に取り上げた、Crazy like USという本が、日本にGSKがパキシルを売り込んだ時の実例を取り上げていましたが、中国でも同様のことがあったということでしょう。

一方で、以前にも書いたようにGSKは今後一切医師への利益供与をやめるということを決めています。したがって、この事件はGSKの過去の遺物といえるのかもしれません。一方で、講演会や研究会活動などへの製薬会社の資金提供は現在の日本でもあります。こういったことで、最終的には患者さんが不利益を被らないようにするということが最も重要な事です。考え方には様々な立場やレベルがあると思いますが、このことは多くの医師が共通して持っていることだと思います。患者さんへの利益を軸に自分自身の行動規範を考えたいと思っています。

2014年10月3日金曜日

軽症うつ病 と 薬物療法

先日日本イーライリリーの会で、大坪天平先生の「軽症うつ病に関して」というお話を伺いました。大坪先生は、多くの講演をされている先生ですが、私はこれまではWeb講演会でお話を伺ったりするくらいで、あまり直接にお話を伺う機会は少なかったように思います。今回は、「軽症うつ病に関して」という非常に自由度の高い演題でのお話で、どんな話が聞けるのかと楽しみでしたが、期待以上に共感できる話でした。

現在、うつ病の薬物療法に関しては、これまでにもこのブログでも書いてきているように、製薬会社のキャンペーンによって必要以上に抗うつ薬が用いられており、適正に使用すべきだという意見があります。さらには、製薬会社の利益供与が薬物の使用を歪めているという指摘もあります。

このようなことから、一部の文献を引用して軽症うつ病には抗うつ薬は効かないということを主張する研究者もいます。このような主張には、私は疑問を持っていました。それは、うつ病は均一な疾患ではなく、様々なタイプが混在する疾患だからです。しかし、問題はまだ研究によってその不均一性がどのような形のものがあるのかは明確になっていません。ただ現実には、ある薬物はあるタイプのうつ病には効果があるけれども、他のタイプのうつ病には効果が無いということはあると思います。抗うつ薬の効果をみる場合、うつ病のタイプを選んで、抗うつ薬の治験を行うということは通常は行わないので、そうすると効果を特定できないということも有ります。

今回の大坪先生の講演は、軽症うつ病に対して薬物が有効でないという研究は、いくつかの点で不完全な研究だという指摘をしました。それらのポイントについては、大坪先生がお書きになるものや講演を見ていただくのが一番なのですが、私が印象に残ったものは、

1.うつ病が軽症であるとしても、生物学的に病的レベルが高くないものもあれば、患者さん自身の適応性が良いために生物学的に病的レベルが高くても軽症に見えるものもあるということ。
  これは、まさにそのとおりだと思いました。特に、うつ病(だけでなく他の精神疾患もそうだと思いますが)生物的=精神的=社会的(Bio-psycho-social)な要因によって疾患が成り立っていることを考えると、やはりしっかりと症状を吟味して治療を考えることが重要であろうということはそのとおりだと思いました。

2.初期値が軽症であると、薬物効果に有意差が出にくいということ。
  これも、そうであろうと思いました。これは純粋に方法論的な指摘です。

3.薬物の効果の評価に、うつ病評価尺度の合計をつかうのはあまりよい方法でないということ。
  これについて、そうかもしれないなと思いました。

特に、1については、非常に強く共感するところで、結局のところは、軽症のうつ病に対してもしっかりと病態を見ていかなければ、いけないということです。このような視点は、しかし、薬物の過剰な使用に警鐘を鳴らす人たちも、同様に指摘している点であり、結局のところ、2つの立場は主張の方向は違っても最終的な到達点は同じと言えなくも無いようにも思います。

このような問題については、主張の方向が明確な方が、議論、特にディベートなどは面白いのですが、結局のところこのような主張を強くする先生方は、しっかりと臨床を見つめているという面もあって、到達点は同じになるということかもしれません。臨床家として最も大事なことは、自分で考え、コマーシャリズムに流されないということではないでしょうか。

2014年6月26日木曜日

クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか イーサン・ウォッターズ

カリフォルニアによった時に、友人のローゼンリクト先生が、この本を紹介してくれました。勿論英語版ですが、和訳が出ていたのでそちらを購入してみました。この本は、アメリカ文化が世界に輸出され、世界中がアメリカナイズされているという、アメリカ人の好きそうなカテゴリーの本で、精神医学に関連した事柄が輸出されていることについての実例を4つ挙げて議論したものです。その中の一つにグラクススミスクライン(GSK)が日本にパキシルを売り込むときの戦略が取り上げられていて、とても興味深いです。



アメリカ人は、アフガンゲリラでもベースボールキャップをかぶっているとかいうようなジョークが好きです。アメリカは、驕り高ぶったところのある国なので、時に嫌気がさすこともありますが、しかし世界情勢を考えるときには外して考えたり、全く否定したりもできない国です。集団的自衛権の議論が昨今盛んですが、この場合もアメリカについて考えずにこの議論は全く成り立たないでしょう。一方で、アメリカは日本のことはすごく考えてくれていると思いすぎることも注意が必要だと思います。日本はアジアの国なので、基本的にはアジアの国との友好関係をしっかりと築いていかなくてはいけないでしょう。

さて、前置きはこのくらいにして、この本は各章に4つの実例を出しています。

第一章 香港で大流行する拒食症
第二章 スリランカを襲った津波とPTSD
第三章 変わりゆくザンジバルの統合失調症
そして
第四章 メガマーケット化する日本のうつ病

ローゼンリクト先生は、この第四章の感想を聞きたいということを言ったので、今回のブラジル旅行中に第四章を読んでみました。

この章は精神科医の先生たちも、場合によったら製薬会社のMRの人たちも読むと面白いと思います。先に述べたように、いかにしてGSKが日本にパキシルという抗うつ剤(SSRI)を売り込んでいったかを書いてあります。私が思うに、この本には誇張や記述の誤りはあると思います。たとえば、1990年頃には日本の精神科医は本当に重い患者しか診ていなかったとか言うようなことです。日本におけるうつ病の概念が、ここ20年くらいの間に大きく変わって、それに多くはGSKの戦略も荷担していたというようなニュアンスが書かれもいます。これも誇張があるなとも思いますが、しかし、少し客観的に見てみると、必ずしも誤りでも無いのかなと思う面もあります。

正直なところ、ここに書かれている時期は私自身は、研究所で研究に多くの時間を費やしていたので、ここに書かれているそのようなキャンペーンや、製薬会社からの接待のことなどについては経験がありません。製薬会社の人から、講演の後食事会に招かれることは最近になってありますが、ここに書かれている時代はそういう世界からは遠いところにいて、実際どうだったのかが、自分の経験から言えないということもあります。

本の中では、アメリカの例として、製薬会社が医学研究者たちの論文を代筆して、出版していたということ。それによって、製薬会社とそのような関係にある研究者は、どんどんと業績(論文出版によるインパクトファクターという点数)をのばし、出世していったという事が書かれています。ある意味ではアカデミックなキャリアを積んでいくための道を、製薬会社が作るようになったということで、医学の重要なポジションに着く人たちを製薬会社がコントロールできるようになったと、アメリカの例として書いてあります。

日本においては、これよりも大分控えめなものであったように思いますが、それでも数年前は、食事会などもよく開かれていたようです。結局のところ、このような製薬企業と研究者との癒着は使用する薬物の選択にバイアスがかかるという結果となり、それは患者さんの症状に応じた薬物処方とは異なった視点からの薬物処方がなされる可能性を示しています。しかし、このような接待は、日本でも現在はなくなりました。

*GSKの方にも伺いましたが、GSKは、2016年までに医師の講演謝金などはすべて廃止する方針を決めたようです。ロイターの新聞記事でも確認しました。GSKはこのような問題となる活動を初めましたが、自らそれに終止符を打つことにしたということでしょうか。

さて、私の感想としては、このような問題がこれまでにもあり、現在もそのようなことがあるのは事実だと思います。DSM5のケースでも、アメリカ精神医学会(APA)とNIMHが協調しないことになり、APAはどちらかと言えば、臨床家と製薬会社よりの立場になっている気がします。これに対して、NIHはより純粋に研究的な視点に立った診断基準を考えているようです。日本精神神経学会は、APAほど製薬よりの立場ではなく、むしろ中立になろうとしていると思います。そのような中で、精神科医の教育にも力を入れ始めています。一方で、日本においても、ノバルティスのケースなど、アメリカに近い問題が発覚しており、今後も、中立的な研究者が主体的に研究をして、治療法の評価をするという仕組みを確立していくことは、重要な課題であると思います。

私は、薬は治療の役にたつと思っています。また、そのような薬物の開発は、製薬会社がしのぎを削る資本主義社会の競争の中でより良い物が出てくるという側面もあると思います。しかし、それを評価するのは、科学的に客観的に行われなければならないことは言うまでもありません。

従って、より望まれるものは研究者のあるいは医師・精神科医の倫理観なのでしょう。客観的にものを見るというのは非常に難しいことです。これは、研究をやっていると非常によく判ります。つい、自分の考えに近い方向にデータを導こうとしてしまう無意識の意識が働いてしまいます。お金を渡されれば、その方向に配慮するということも起きてきます。そういう意味でも、臨床家もある程度の研究経験を持ち、物事を客観的に評価する視点を学ぶ機会を持つことが大切だと思います。そういう意味では、最近研究をする医師が少なくなったのは残念なことでもあります。このような経験をすれば、その中で、データに対する客観的な判断力も養われます。このような精神科医が増えれば、一方的な視点のデータだけで、薬物の効き目を評価すると言うことは少なくなってくるようにも思いました。

治療に関わる、さまざまな製薬企業との関わりはなくすことはできないと思います。したがって、これをどのようにコントロールしていくのか、また実際に医師がどのような形で客観性や倫理観を担保していくのかが今後の重要な課題となると考えさせられる本でした。