2014年3月6日木曜日

外来精神療法の意味

患者さんが外来にみえると、お話をして処方をするというのが通常のパタンである。この、「お話」の部分が外来精神療法(通院精神療法=通精)というものであるが、この治療にはどのような意味があるのだろうか。多分、精神科医はそれぞれのスタイルを持っていて、そこでどのような話をするのかには、精神科医それぞれの考えがあると思われる。

薬物療法について相談することも多くある。薬物療法は、精神科医療については欠かせないものなので、これについて相談することは大切である。副作用は出ていないか。患者さんが副作用と気づいていないことが実は副作用であることもある。精神的な症状と気づきにくい、様々な身体的な訴えについても丁寧に聞いて、必要であれば薬物療法を変更する。ただし、これだけだと患者さんの側から見れば、自分のことよりも薬の調節に興味があるということになるし、また実際そのような治療になってしまう。

薬物療法よりも更に大切と思われることは、その人がどのような生活をしているか、どのような内的な世界にいるのかを確認することだと思う。確認するだけでなく、それにコメントする。コメントは、多くの場合微調整を含む。この微調整は大きな意味を持っている。例えば、「退職など具合悪い時には人生の大切なことを決定しないほうが良いですよ。」などということである。そういうことは、外来に来ていなければ患者さんは、自分の考えで進めてしまうことも多い。そういうコメントをすると、ちょっと思い留まる。その会話は1分以内のことなのだけれども、これが後の人生に影響をあたえることも少なくない。

以前、あるスポーツチームの有名な監督と話をする機会があって、どんな指導をしているんですかと聞いた。そうしたところ「毎日、練習に行って、これは良い、これは悪いって言うだけですよ。」と話しておられた。これはとても大事なことで、そんなことを通じて、選手は良い方向が何かを日々の練習から確実に、そして確固とした方向として自分の中に位置づける事ができる。これは、大学院生の指導をしていてもそうだが、日々少しずつの微調整が、効率的で良い研究活動に繋がる。

このような指導は、一つ一つは本当に僅かなものであるが、これがないと誤った方向にどんどんと進んでしまう。そして、半年たったところではとんでもなく離れたところに行ってしまうこともある。それからの修正は大変である。

2週間に一度の外来精神療法はそのような意味を持っていると思う。まあ、先生の言うとおりだ。だけども、自分もそう思っていた、と患者さんは思うことは多いと思う。ただ、そうでもないことも時にはある。このような共同作業を続けることで、患者さんの良い自己決定ができるようになってくるということが外来精神療法の意味なのかなと思っている。

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