2014年10月20日月曜日

イスラム世界の精神医学

ここのところ、動きが非常に盛んになっている「イスラム国」に不安を感じます。このイスラム国の活動は、その残虐性に驚きますが、イスラム国設立に共感する人たちが多くの国から参加していることも報道されていています。

先日、日本からも北海道大学の休学中の学生が、イスラム国に渡ろうとして逮捕されました。このような事態についても、憂慮しています。一方で、イスラム世界と欧米との関係は大変複雑で、イスラム国を狙った、米国によるシリア領土内の空爆もその是非が問われている面もあります。

更に、この地域は、産油地域ということも有り、世界が看過できないということもこの紛争に別の意味付けをしている面もあります。我が国の立場は欧米寄りですが、私は日本は現状以上にこの地域の問題に踏み込むのは避けたほうが良いように思っています。問題は複雑で、日本はむしろ中立を保つことで、この地域に貢献できる面もあるのではないかと思います。

このようなことをも背景に、最近はイスラム圏から日本に来る人も増えています。このようなことから、イスラム世界での精神医学はどんなものなのだろうと思いました。文献を調べてみましたところ、以下の様なものが有りました。

Psychiatry and Islam.
Pridmore S1, Pasha MI.
Australas Psychiatry. 2004 Dec;12(4):380-5.

この文献には、イスラムの社会のあり方についての解説があります。一神教である、ユダヤ教やキリスト教とは、違いというよりも類似点が多いと書いてあります。イスラム教においては、唯一の神であるアラーを信じるという共通の観念の中で、社会が成り立っていて、そういう意味で個人よりも社会全体の福祉が重んじられるということです。そういった中で、精神医学は西欧の基準から言えば、限られたものだとも言っています(Psychiatric services in Islam, according to Western  standards,  are  somewhat  limited. )

しかしながら、医学という側面からは、例えば漢方医学ほどの大きな違いは無いのではないかとも思います。一般的に言ってパキスタンなどの精神医学者の多くは、アメリカに留学していたりもするので西欧と大きな違いは無いのではないかと思います。一方、社会精神医学という視点から見ると、アラーのもとでの社会全体の福祉を優先するということもあり、このような点で違いが見られるかもしれません。

私自身も、時々外国の方々の診療をしています。中国や韓国の方々が一番多いですが、英語を話す白人の方の診療もします。私自身は、外国語は英語しか話せませんので、それ以外の言葉だけの方はほぼお手上げです。この中には、英語を話すイスラム圏の方も居ます。

このような人たちの診療では時に興味深いなと思うことも有ります。それは例えば「食欲はどうですか」という質問に対して、「あまりないが、現在ラマダンなのでむしろ楽だ」という答えが帰ってきたりする時です。また、昨日、帝京大学溝の口病院精神科教授の張先生の話を聞いて、イスラム教徒には自殺者が非常に少ないことも知りました。しかし、このようなときも、診療というレベルでは、結局のところ、患者さんの主観的世界をなるべく中立的に感じていくという、精神医学一般における重要な実践を行っていくということに尽き、特に他の人の診療と変わるということもありません。

このようなイスラム圏の患者さんに対する私の経験は、まだ全く浅薄なものなのですが、イスラム世界のことを知れば、もう少し深い話ができるのかもしれません。私の経験は、まだまだですが、先の論文の最後の部分の下記の文章は、精神医学の持っている中立性を示している気もして、興味深く思いました。

Like  Islam,  the  profession  of  psychiatry  cuts  across ethnic  and  national  boundaries.  The  profession  can make a contribution to world peace through thoughtful respect, inclusion and cooperation.

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