Psychiatric Timesという精神科の情報サイトのMLに参加しています。こちらのブログでも幾つかの記事を紹介していますが、日本国内の情報だけでなく、アメリカの情報も入るので、いろいろと幅広く知識を得ることができます。少し前になりますが、このPsychiatric Timesに女川町の名前があったので、読んでみました。<記事へのリンク>
DSM IVを編集した、アレン・フランセスの文章でした。以前にもアレン・フランセスについては、紹介しましたが、彼の書いた、私が何度も引用する言葉は、この記事でも生きています。
うつ病も、たとえば米国では悲しみや興味の喪失、絶望感や無力感を主訴として受診するのに対して、日本では頭痛や食欲減退、不眠などの身体症状を主訴として受診んするといった違いがあるのではないだろうか。日本では、Schizophreniaの訳語を精神分裂病から統合失調症に変えたが、こうしたことも精神疾患に対する視点の違いを反映している可能性がある。
この文章は、東日本大震災で被災した女川町に、大野裕先生が何度も訪問しているという紹介で始まります。大野先生は女川町の佐藤さんという看護師さんのサポートをしているようです。アレン・フランセス先生は、大野先生の招きで女川町を訪れたようです。そして、そこで佐藤さんの話を聞いて非常に感銘をうけたという話です。
私が、特にこの文章で印象に残ったことは2つあります。
一つは、佐藤さんは、津波が来たら人を助けるのではなく、ただひたすら自分が高いところに上がることだけを考えろと、何度も伝えるのだけれども、このような自分中心的な考え方はなかなか日本人に浸透しないということ。人を助けに戻ることは、命を無駄に捨てること以外の何ものでもないと懸命に伝えているその佐藤さんの背景には、佐藤さんご自身が、祖母を助けようと息子さんと戻ったことで、大切な息子さんの命を失ってしまったという背景があるということでした。その話の途中で、佐藤さんは泣き出したということを書いていました。
もう一つは、この災害の後にPTSDが見られるのではないかということだったが、むしろPTSD症状を呈する人たちは少く、うつ、引きこもり、無気力、罪悪感(depression, withdrawal, apathy, and guilt)が多くみられたとしています。アレン・フランセスは、ここでも文化や様々な背景によって、診断は変わってくるものであるし、DSM至上主義での精神科医療に対しての疑問を投げかけています。
患者さん自身をよく知ること。そして、その人の背景にある生育史、家族、そして生活そのものについて十分に知り、その人の内的な世界、その人の目から見ている世界がどのようなものかを知ろうとする視点が、良い精神科医療に求められているということは、ここでもまた教えられた思いがありました。
DSM IVを編集した、アレン・フランセスの文章でした。以前にもアレン・フランセスについては、紹介しましたが、彼の書いた、私が何度も引用する言葉は、この記事でも生きています。
うつ病も、たとえば米国では悲しみや興味の喪失、絶望感や無力感を主訴として受診するのに対して、日本では頭痛や食欲減退、不眠などの身体症状を主訴として受診んするといった違いがあるのではないだろうか。日本では、Schizophreniaの訳語を精神分裂病から統合失調症に変えたが、こうしたことも精神疾患に対する視点の違いを反映している可能性がある。
この文章は、東日本大震災で被災した女川町に、大野裕先生が何度も訪問しているという紹介で始まります。大野先生は女川町の佐藤さんという看護師さんのサポートをしているようです。アレン・フランセス先生は、大野先生の招きで女川町を訪れたようです。そして、そこで佐藤さんの話を聞いて非常に感銘をうけたという話です。
私が、特にこの文章で印象に残ったことは2つあります。
一つは、佐藤さんは、津波が来たら人を助けるのではなく、ただひたすら自分が高いところに上がることだけを考えろと、何度も伝えるのだけれども、このような自分中心的な考え方はなかなか日本人に浸透しないということ。人を助けに戻ることは、命を無駄に捨てること以外の何ものでもないと懸命に伝えているその佐藤さんの背景には、佐藤さんご自身が、祖母を助けようと息子さんと戻ったことで、大切な息子さんの命を失ってしまったという背景があるということでした。その話の途中で、佐藤さんは泣き出したということを書いていました。
もう一つは、この災害の後にPTSDが見られるのではないかということだったが、むしろPTSD症状を呈する人たちは少く、うつ、引きこもり、無気力、罪悪感(depression, withdrawal, apathy, and guilt)が多くみられたとしています。アレン・フランセスは、ここでも文化や様々な背景によって、診断は変わってくるものであるし、DSM至上主義での精神科医療に対しての疑問を投げかけています。
患者さん自身をよく知ること。そして、その人の背景にある生育史、家族、そして生活そのものについて十分に知り、その人の内的な世界、その人の目から見ている世界がどのようなものかを知ろうとする視点が、良い精神科医療に求められているということは、ここでもまた教えられた思いがありました。
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