2014年12月5日金曜日

向田邦子さんのこと (2)

向田邦子さんについて調べてみると、向田さんは、飛行機事故でなくなっているようです。享年51歳ということなので、私よりも若い年齢でなくなっています。非常に惜しい人をなくしたという気がします。

私が読んだ本は、「父の詫び状」ですが、これは向田さんのご家庭の様子やご家庭に関連した様々エピソードをその鋭い感性のもとに書いておられる作品です。向田さんのお父様は保険関連の会社で、コネもない中で努力され非常に出世されたようです。しかし、家庭ではワンマンであったと書いています。向田さんのご家庭は、ご両親と妹さんと弟さん、そして父方のご祖母様が済んでおられたようですが、このご祖母様は、いわゆるシングルマザーだったようです。かなり自由奔放な方であったようですが、この点については感受性の強い向田さんが、様々な面白い描写をしています。人生を自由に生きて、非常に楽しんだ方のようですが、向田さんが子供の頃に浦島太郎の話を聞かせた際に、最後の部分で、玉手箱を開けて「白髪のおばあさんになった」と(多分)言い違えた部分があって、それを向田さんがおじいさんでしょと訂正されたようですが、その時にお祖母様は呆とされていて、答えなかったそうです。それを向田さんは、自由奔放に生きて年をとったら、知らないうちに白髪の年令になってしまった自分と重ね合わせたのではないか、というような考察をされています。

また、お父様も、かなりくせのある方だったようです。会社では、常に気を配り上司には、平身低頭の態度で仕事をしていたように書かれています。一方、自宅では相当なワンマンで、向田さんのお母さんを常に叱り飛ばすようなことが多かったようです。ただ、そこに愛情がなかった言うことではないく、そういった態度の節々に醸しだされる、愛情を向田さんも、そしてお母さんも、充分に感じ取っていた節はあります。

さて、向田さんは、自分のエピソードについても様々なことにふれていますが、計画を順序立ててやるのがものすごく不得意、やらなくてはならないことを、先送りすることが多い、仕事がどうしてもぎりぎりになってしまう、などの自分の性分が、この随筆のここそこに書かれています。このような特徴を見て、診断をするのも、気恥ずかしい思いですが、向田邦子さんのように、このような特徴を併せ持つ人が、きらめく才能を持っていることが多いのも間違のない事実だと思います。

自由奔放で面白おかしく、しかし、なかなかきちんとはやりにくい、しかし、出来上がったものを見れば、本当に光り輝く魅力のあるもの、そういう人たちがうまく社会の中で成功してくれると良いと、常日頃の仕事の中でも思ってしまいます。


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