2015年2月13日金曜日

安全に対する考え方 - 工事現場と医療

私の家の隣接地では、現在マンション工事が行われています。このマンション工事にともなって、セメントサイロと言われる、背の高い構造物が家のすぐ横に設置されました。写真を掲載しますが、この構造物は基礎工事などはしておらず、底の部分は水平を保つためにブロックで調節をしているというような状態です。このようなものでは、いくらワイヤーで下の鉄板にステイを張っても、現在注意が喚起されている東京直下型地震などがおきれば、倒れてしまいます。また、地震でなくとも竜巻なども近隣で起きているので、倒れる可能性は十分あるわけです。セメントを充填すれば何トンにもなり、倒れれば方向によっては我が家を直撃し、夜間であれば眠っている人の頭を直撃して死亡事故にも繋がりかねません。
移動前
移動後
そこで、私はこれを境界線から離れた内部に移動するように現場の所長に申し入れました。しかし、当初現場の所長や部長の答えは以下のとおりでした。

・ メーカーが安全だと言っているので大丈夫。
・ どんなものでも100%ということは無いが、やむを得ない。
・ 更に倒れないように補強をするので、それで納得してほしい。

しかし、どのような補強をしようとも、倒れる可能性はある。その上でこれをより内部に移動すれば倒れても隣接する家屋への被害は起きないのだから必ず内部に移動してほしいと何度も、そして強く申し入れました。その結果、申し入れから3日目で移動してもらえることになりました。このことを理解し、移動に尽力してくださった現場の所長さんには私は感謝の気持を伝えました。

私はこの時、我々の生活の中には、福島第一原発の経験が全く生きていないなと思いました。このような人の命に関わるような事柄に対しても、人は、利益を優先してしまいます。職場における仕事効率には直接不必要な提案への億劫さと、これを弁護する自己意識から、そうしなくても大丈夫だという根拠を懸命に探すようになります。そして、それを何とか正当化するようになります。これに対して、そうでないことを、論理だてながら必要につきつけることをしなければ、事態は改善しないわけです。

しかし、これは他人ごとではありません。我々医師も同じことをしている可能性もあります。薬物の投与や、手術の適応の判断など、すべて生命に関わる事柄に対して、どれだけの労力をかけても安全を優先するということが大切であるという考え方。これを忘れないようにしなければなりません。これは、患者さんがセカンド・オピニオンを求めることの重要性にもつながります。この一件を通じて、このことを他人への批判ではなく、自分自身への戒めとしても考えようとも思った出来事でした。

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