2014年8月25日月曜日

DSM-5 (4) トーマス・インセル によるDSM-5批判

先週の土曜日に、日本イーライリリーのカンファレンスが、新宿で有りました。その際に、慶応大学精神科の古茶大樹先生の「精神医学における疾患とは」というお話を聞きました。久しぶりに、心身論や大森荘蔵の重ね書き、というような話を聞いて、興味深かったです。

主な話は、精神医学における疾患というのは、内科学における疾患概念が、自然科学的エビデンスの上に成り立っているのに対して、精神科の疾患概念は患者さんの主観的な体験をうかがい知るという、自然科学的に言えば客観性に乏しい所見の上に成り立っているという話でした。これを理念型と呼んでおられました。

この中で、興味深かったのが、NIMH所長の トーマス・インセル によるDSM-5批判の位置づけです。DSM-5批判の中で、多くは診断基準によって、疾患と言えない概念まで疾患になり、これが医療保険制度などにまで影響を与える結果になることへの批判。アラン・フランセスの言うところの、「正常を救え」という状況になるというものです。これに対して、トーマス・インセルの批判は、全く違った視点からの批判だという話です。トーマス・インセルは、むしろ内科学的な、自然科学的エビデンスに則った診断基準を作らなくてはいけないという主張をしています。この点が他の批判とは質をことにしているという古茶先生のお話です。トーマス・インセルの考えは私も知っていましたが、そういった視点での解釈は私はできていなかったので、さすがに精神病理学者だなと思いました。

  トーマス・インセルのこのようなDSMに対する批判は、そう考えると、DSM-5に対する個別的な批判というよりも、これまでの精神科疾患概念に対する、批判ということになりそうです。

トーマス・インセルのブログ

精神疾患は脳病であるという考え方は、私は信じているところです。しかし、脳というところと病というところについて、少しずつ注釈が必要だと思います。精神科で扱う対象は、脳の働きを対象にしているという点は正しいと思います。例えば、内分泌疾患の精神症状にしても、内分泌疾患は精神科の概念の対象でなく、これが脳に影響をあたえるので精神科の対象になるということです。しかし、病というところは、社会的な概念との兼ね合いが有り、これを病とするかしないかは、様々な要因によって、境界が曖昧になると思うわけです。したがって、脳のところまでは自然科学で捉えられますが、病となると難しい。脳機能の変化は精神疾患の必要条件だが、十分条件ではないということです。これは取りも直さず、古茶先生の疾患概念のお話に戻るということになるわけです。そうなれば、 トーマス・インセルの批判の論理でさえ危うくなってくるわけです。生物学的に原因が明らかになっても、これを病とするか、正常とするかは様々な要因が関わってくるということです。

なかなか、楽しい講義でした。

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